159『和菓子』


1965年/26分/カラー/制作:桜映画社/
企画:栄太樓総本舗/プロデューサー:高島道吉
プロデューサー・脚本・監督:村山英治/脚本:松川八洲雄/
共同監督・撮影:木塚誠一/共同監督:米内義人/
照明:菱沼誉吉/編集:沼崎梅子/音楽:間宮芳生/解説:久米明
和菓子の原型・餅に外来の製法が輸入され日本化されて現在の豊かな
味がつくられた。その歴史は間食に始まった菓子の大衆化の歴史でも
あり、日本的な文化の特色をも示している。

村山英治【むらやま・えいじ】
1912年長野県生まれ。小学校教員を経て上京し、1937年芸術映画社に入社。企画部員・脚本・プロデューサーとして朝日映画社、三井芸術プロなどで活動した後、1955年に市川房枝山高しげりらの後援を受け「母親映画プロダクション」を掲げた桜映画社を創立。社会教育映画、科学映画、PR映画などの分野で良質な作品を多数プロデュースすると同時に、伝統文化記録映画などの演出も手掛けた。2001年逝去。
主な作品:ノミはなぜはねる(1960)現代日本の美術工芸(1963)アメリカの家庭生活(1964)和菓子(1965)フランスはぶどうの村で(1967)伸びゆく国有林(1969)明治の洋風建築(1972)色鍋島(1973)絵巻(1974)伊勢型紙(1977)八十七歳の青春-市川房枝生涯を語る-(1981)芹沢圭介の美の世界(1984)母たち(1990)
桜映画社 Sakur@web http://www.sakuraeiga.com/01.html


木塚誠一【きづか・せいいち】
1910年東京生まれ。1935年PCL(現・東宝)に入社、撮影技師として『春よいづこ』(渡邊邦男監督/1940)『母は死なず』(成瀬巳喜男監督/1942)『熱風』(山本薩夫監督/1943)などを担当。1949年退社、以後は独立プロ作品や記録映画を多数手掛ける。桜映画社では村山英治監督とのコンビで芸術祭大賞受賞作『色鍋島』(1973)などを撮影する。1980年逝去。
主な撮影作品:春よいづこ(1940)子宝夫婦(1941)母は死なず(1942)ハナ子さん、熱風(1943)敵は幾万ありとても(1944)勝利の日まで(1945)四つの恋の物語(1947)面影(1948)こんな女に誰がした(1949)女の四季(1950)白旗ぢいさん(1952)日本のデンマーク農場(1953)ともしび(1954)胸より胸に(1955)お姉さんといっしょ(1956)うなぎとり(1957)怒りの孤島(1958)白か黒か(1959)暴れん坊大将(1960)愛情の系譜(1961)わたしはナイロン(1962)味の王様(1963)酵母(1964)和菓子(1965)龍の子太郎(1966)Bunraku・文楽(1967)日本再発見(1969)津軽の子ら(1970)伝統音楽への招待(1971)明治の洋風建築(1972)色鍋島(1973)多摩川1974(1974)紐つくり-東アジア・日本-(1975)茶の湯への招待(1977)歌舞伎の魅力-演技-(1978)歌舞伎の魅力-女方-(1979)よみがえる東塔(1983)


米内義人【よない・よしと】
No.027『洗たくの科学 よごれ落ちのしくみ』を参照。
http://d.hatena.ne.jp/tancho/20050420/p3

桜映画の仕事 1955‐1991

桜映画の仕事 1955‐1991