487『海を渡る友情』

1960年/50分/白黒 制作:東映教育映画部
企画:赤川孝一・栗山富郎 監督:望月優子 脚本:片岡薫
撮影:中尾駿一郎 照明:浅見良二 音楽:芥川也寸志
録音:清島竹彦 編集:民野吉太郎 美術:池田康彦
記録:城田孝子 助監督:大島善助 進行:武井雅敏
出演:野口英明 河口雄三 加藤嘉 水戸光子 矢野宣 西村晃
   辻伊万里 本間文子 谷本小夜子 中村雅子 田崎芳江
   桜井基男 大場繁雄 五十嵐基治 友野義雄 碓井佳治
   尾崎真一 高木美恵子 中鉢昭子
女優の望月優子が初監督した劇映画。北朝鮮への帰還運動をめぐって、
日本の子どもたちと朝鮮の子どもたちが友情で結ばれるまでを描く。
キネマ旬報・短篇映画ベストテン4位。

芥川也寸志(あくたがわ・やすし)1925〜1989
作家・芥川龍之介の三男。映画『八甲田山』や大河ドラマ赤穂浪士』などの力強い作風で知られる。また、「音楽はみんなのもの」との考えから、アマチュアオーケストラの育成や音楽著作権保護運動に取り組み、テレビ番組の司会者としても活躍した。
作曲家フィルモグラフィ [1] 芥川也寸志 - 短篇映画研究会 SHORTFILM RESEARCHERS

芥川也寸志の世界

芥川也寸志の世界

宇野誠一郎(うの・せいいちろう)1927〜2011
チロリン村とくるみの木』『ひょっこりひょうたん島』『ムーミン』など、昭和の子ども番組を数多く担当。キャッチーなメロディ、絶妙なリズムが特徴。1984年以降は井上ひさし主宰の劇団「こまつ座」の音楽を手掛ける。
作曲家フィルモグラフィ [2] 宇野誠一郎 - 短篇映画研究会 SHORTFILM RESEARCHERS

宇野誠一郎 作品集

宇野誠一郎 作品集

一柳慧(いちやなぎ・とし)1933〜
偶然性の導入や図形楽譜を用いた実験的な作品で、1960年代の日本の音楽界に大きな衝撃を与える。勅使河原宏吉田喜重らの劇映画の音楽で知られるほか、小林米作の科学映画をはじめとする数々のドキュメンタリーにも曲を提供している。
DVD『作曲 一柳慧 短編科学映像集』が東京シネマ新社より発売中。
http://tokyocinema.net/
作曲家フィルモグラフィ [3] 一柳慧 - 短篇映画研究会 SHORTFILM RESEARCHERS

一柳慧~1960’s&1990’s/一柳慧の宇宙 III

一柳慧~1960’s&1990’s/一柳慧の宇宙 III

藤久真彦/三神真彦 【ふじひさ・まさひこ/みかみ・まさひこ】
1932年2月24日〜2008年10月18日
京都大学文学部卒業。岩波映画製作所、電通映画社などで演出・脚本を担当。1971年、小説『流刑地にて』で太宰治賞を受賞。以後、三神真彦のペンネームで作家としても活動し、1988年には『わがままいっぱい名取洋之助』で講談社ノンフィクション賞を受賞する。
[主な作品]
1961:日本発見・地理TV 「栃木県」ほか (NET) 1962:OLYMPIC NEWS No.1 TOKYO 1963:私は高速道路、空にのびる街 1964:駅、バスケットボールと彼女たち、ハローCQ(12チャンネル) 1965:都市を拓く 1966:ふたり 1967:百万人のひとり-糖尿病と食事- 1968:関西大学 1970:東芝IHI館9面マルチ映像(日本万国博) 1971:ぼくたちに国境はない 1975:海の詩(沖縄海洋博住友館) 1976:日本列島の海 1980:一粒の麦から-ウイスキーとその世界- 1981:ページの向こうに広がる世界 1985:美味国探検(科学万博)

わがままいっぱい名取洋之助 (ちくま文庫)

わがままいっぱい名取洋之助 (ちくま文庫)

阿部博久 【あべ・ひろひさ】 1937〜1982
福島県生まれ。東京外国語大学卒。日本映画新社でPR映画の脚本・演出を手掛けるのと同時に、黒木和雄監督『キューバの恋人』(1969)の共同脚本に参加。以後、フリーランス日本テレビNNNドキュメント」などのテレビ番組を多数演出。河村治彦、戸山宏、広瀬涼二ほかのフリー演出家と「映像同人」を結成した。
[主な作品]
1966:大いなる防波堤 1968:トドとライフル 1969:かながわ紀行 1970:ドキュメンタリーももたろう 1972:森村桂のフィジー旅行顛末記 1974:空母ミッドウェーの反乱 1976:ハンス・リース氏の生活と時間、JOY TOGETHER-日本身障者スキー協会の記録- 1977:あえて荒野に立ってアジアの戦慄を聴け 1978:子供たちは七つの海を越えた〜サンダースホームの1600人 1981:神々と里人たちの宴-新野の雪祭り-

キューバの恋人 [DVD]

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杉山正美 【すぎやま・まさみ】
1926年静岡県生まれ。日本映画社撮影部を経て1951年フリーの脚本・演出に。フィルムによる医学・科学・学術・教育映像の制作を行う。1990年(株)イオス設立。http://www.ios1.jp/
[主な作品]
1958:ミクロの世界-結核菌を追って- 1960:鉤虫(こうちゅう)-十二指腸虫の生態- 1962:血液-止血とそのしくみ- 1964:生命のしくみ-生化学の進歩から- 1965:宇宙鳥 1966:ビジネスと電話 1970:ぜんそくを探る 1972:脳と潰瘍 1973:地球と生命-フラスコの中のエコロジー- 1974:グリーンエネルギー-光合成の科学- 1975:ミクロの毒針-腔腸動物の刺胞- 1976:あかり 1977:保存を考える 1978:幽玄の誕生 1979:免疫を探る 1980:甦える鉄剣 1981:コミュニケーション-その未来- 1982:いきの時代-江戸が育てた女性美- 1984:メモリー 1985:パソコンって何? 1986:ひなまつり-日本人のこころ- 1987:皮膚を科学する 1988:過敏性腸症候群 1990:癌と生体防御機構 1991:柔らかな脳-脳研究の最前線を探る- 1992:緑膿菌感染にせまる 1993:C型肝炎-ウイルスマーカーをめぐって- 1997:がん患者の服薬指導
▽『免疫を探る』(1979) 提供:科学映像館 http://www.kagakueizo.org/

望月優子 【もちづき・ゆうこ】 1917年1月18日〜1977年12月1日
横浜市生まれ。本名・鈴木美枝子。東京市立忍ケ岡高女中退。榎本健一主宰の「第2次カジノフォーリー」や「ムーラン・ルージュ新宿座」でダンサーとして活躍。古川緑波一座、新生新派を経て、戦後の1947年劇団民藝に参加。1950年に松竹と契約、木下惠介『日本の悲劇』(1953)での演技が高く評価される。その後も久松静児『おふくろ』(1955)、今井正『米』(1957)、木下惠介楢山節考』(1958)、山本薩夫『荷車の歌』(1959)などに相次いで出演し、庶民の母親役の第一人者となる。1960年には東映教育映画『海を渡る友情』を初監督。1971年の参院選全国区で日本社会党の候補として当選、1期を務めた。
[主な演出作品]
1960:海を渡る友情 1962:おなじ太陽の下で 1968:泣いてたまるか「家つき、カーつき、ババアつき」(TBS)

木下惠介生誕100年 「日本の悲劇」 [DVD]

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16mm上映協力:東京都立多摩図書館

会場:千代田区立日比谷図書文化館(旧・日比谷図書館)4階会議室
都営地下鉄三田線 内幸町駅 A7出口より徒歩3分
東京メトロ 丸の内線/日比谷線/千代田線 霞ヶ関駅 C4・B2出口より徒歩5分