479『働く少年のねがい』


1956年/20分/白黒
制作:三井芸術プロダクション 企画:文部省 
製作:三井高孟 構成:水木荘也
演出:橘祐典 脚本:新庄宗俊 撮影:高山弥七郎 
照明:阿部定雄 録音:阿倍成男 音楽:池野成
毎年義務教育をおえた少年少女らが社会に巣立っていく。
会社の技能者養成所や中小企業に勤めて定時制高校に通う
少年少女たちの実態を描いたもの。

橘祐典【たちばな・ゆうてん】
No.194『東京はいま…新しい革新都政をめざして』を参照。
http://d.hatena.ne.jp/tancho/20070627/p3

 義務教育だけで社会に出た子ら(全国で年々七〇万)が職業安定所にひしめいて、製版などの小工場へゆくものや造船所などの大工場へゆくものもある。数少ない大工場の技能者養成所では実習訓練ばかりか普通学科も習ってめぐまれてはいるが、かれらとても終業のサイレンが鳴ると夜間の学校に通学する。ただ資格がほしいからだが、どうして資格などという区別があるのかと訴える。
 また小企業の工場などでは機械の掃除や使いはしりばかりだが、そんなに学校にゆきたいなら工場をやめろといわれそうで、いつも不安な思いで通学することが多い。さらに学びたくともヒマがなく、また方向のない子もあるという。
 ここらの中半までは一応わかるのだが、後半では、実習は昼の各職場にまかせて夜は学習をさせる大工さんの養成所、高度に機械化された印刷所などのめぐまれた例となる。それなら別に問題もなさそうに思えるのだが、なにか話がいったりきたりして要領がえないのはどうか。さらに最後の、歓楽街にあるいものの共同技能者養成所では、ながれるメロディの誘惑とかにも打勝って少年たちが集まる。そして夜業でおくれる仲間をまちながら教師も生徒も技術の話がはずむ。だが、むしろ心あたたまる場面なため、このような工場は少なく、もっとぼくらは勉強したいと幕切れでうたわれても、さほど強くひびかないのは損だ。
 働きながら学びたい「ねがい」はよくわかるのだが、それを文部省が訴えるとはどういうことか。むしろ国民のほうから文部省さんに訴えたいことだろう。いかにも重要問題であり、まじめで近ごろになく熱っぽい作品ながら、その点がどうも不明でならない。(加藤松三郎/キネマ旬報 1956年6月上旬号)