419『五匹の子猿たち』

 
 
1956年/17分/白黒 制作:電通映画社+人形映画製作所
企画:教育映画配給社 プロデューサー:稲村喜一
演出:田中喜次、持永只仁 脚本:田中喜次 撮影:岸次郎
美術:吉田護吉 音楽:加藤三雄
五匹の子猿は、悪いオオカミに焼かれた森を元通りにするため、
赤い木の実を探して冒険する。日本と中国で人形アニメーション
礎を築いた持永只仁の帰国第二作。

田中喜次【たなか・よしつぐ】 1907-1982
大阪市生まれ。帝国キネマを経て童映社を設立。プロキノの協力を得て1930年に影絵映画『煙突屋ペロー』を制作。反戦的な内容が検閲で削除されたが、1987年に復元版が作られる。1933年からJ.O.スタヂオでアニメーションを制作。1935年には劇映画『かぐや姫』を監督。1937年同盟通信社に移り、ニュース映画や長編記録映画『曦光(シイコワン)』(1938)を手掛ける。戦後は電通映画社で映画部長に就任。PR映画とともに、持永只仁の人形アニメーション映画にも携わる。
田中喜次 - Wikipedia


持永只仁【もちなが・ただひと】 1919-1999
東京市神田錦町生まれ。日本美術学校応用美術科卒業。1939年に芸術映画社入社、漫画映画班に参加。『桃太郎の海鷲』(1942)などを手掛けた瀬尾光世のもとで日本初の多層式撮影台を開発。1945年満州映画協会に移籍。敗戦後も中国に残り東北電影公司(後の東北電影製片廠)創設に参加。八路軍の士気を鼓舞する目的で制作した『皇帝の夢』(1946)から人形アニメーションを手掛ける。1950年上海に移り、後の上海美術電影製片廠創立にも協力。1953年日本へ帰国。1955年に人形映画製作所設立。日本初の人形アニメーション『瓜子姫とあまのじゃく』『ちびくろさんぼのとらたいじ』(1956)などで高く評価される。1961年にMOMプロダクションを設立。アメリカのランキン・バス・プロダクションからの受注で『ルドルフ 赤鼻のトナカイ』(1964)『MAD MONSTER PARTY』(1967)などを手掛ける。1967年に退社。以後はニュース映画製作に携わる一方、アニメーション分野での後進の指導にあたる。2006年には「アニメーション日中交流記―持永只仁自伝」(東方書店)が刊行される。
持永只仁 - Wikipedia

アニメーション日中交流記―持永只仁自伝

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ルドルフ 赤鼻のトナカイ【絵本付きDVD】

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Mad Monster Party [DVD]

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