『流血の記録 砂川』


監督:亀井文夫 1956年/55分/16mm/白黒
制作:日本ドキュメント・フィルム/
企画:砂川斗争記録映画製作委員会/製作:大野忠/
撮影:武井大・植松永吉・城所敏夫・勅使河原宏・大野忠・亀井文夫
編集:亀井文夫渡辺正巳・豊富靖・岸富美子/
録音:奥山重之助・大橋鉄矢・大野松雄
音楽:長沢勝俊/進行:斎藤茂夫/解説:寺島信子
1955年〜1956年の東京都下砂川の米軍基地拡張反対闘争を描く。
「心に杭は打たれない」を合言葉に、地元農民が労組・学生・文化人と
一体になって武装警官隊と対決し、勝利をかち取るまでの日々。亀井監督
とスタッフ(若き勅使河原宏も参加)は農家に泊り込み、労組員や学生と
生活を共にして撮影した。

亀井文夫【かめい・ふみお】
1908年福島県原町(現・南相馬市)生まれ。1928年、文化学院大学部を中退しソビエトレニングラード映画専門学校に留学。肺結核を発病し1931年帰国。1933年PCL(後の東宝)に入社。文化映画部で『怒濤を蹴って』(1936)『上海』(1937)などの構成・編集を担当。陸軍省の依頼で制作した『戦ふ兵隊』(1940)が "厭戦的” として上映禁止になり、1941年には治安維持法違反の容疑で逮捕される。敗戦後も天皇の戦争責任を示唆した『日本の悲劇』(1946)が吉田茂首相の逆鱗に触れ上映禁止となるが、山本薩夫と共同監督した初の劇映画『戦争と平和』(1947)が大ヒット。東宝争議で退社し『無頼漢長兵衛』(1949)などの劇映画を手掛けた後、1954年日本ドキュメントフィルム社を創立し、『基地の子たち』(1953)『生きていてよかった』『流血の記録 砂川』(1956)『世界は恐怖する 死の灰の正体』(1957)『人間みな兄弟 部落差別の記録』(1960)など、一貫して反戦反核・反差別の立場から社会的問題作を発表する。1970年代には古美術店を開業し一線を退くが、『みんな生きなければならない』(1984)で監督に復帰、2時間45分の大長編『トリ・ムシ・サカナの子守歌』完成直後の1987年逝去。

上映協力:日本ドキュメント・フィルム
http://www.geocities.jp/japandocumentfilm/