132『16ミリフィルムと映写機−フィルムを痛めないために−』

1981年/21分/カラー/制作:ハマダプロ/企画監修:西野光芳/
製作・監督・撮影:浜田英夫/解説:明石一/編集協力:加納宗子
映写機でフィルムが送られる機構を説明し、パーフォレーションを
破損する例、タテキズの入った例、その防止法として空転テスト、
通路の清掃コマ合わせなど注意事項の要点を見せる。

田英夫【はまだ・ひでお】1927〜2006
東京市渋谷區生まれ。1945年5月の空襲で焼け出され南多摩郡稲城村(現・稲城市)に移転。中央大学法学部卒業後、商事会社に勤務するが病気のため退職。スライド制作の仕事をしながら、当時アマチュアの間で盛んになっていた8mm映画カメラを自ら廻し始める。『秋の歌』『砂利のふるさと』『砂川は抵抗する』などを自主制作した後、盲学校の小学二年生の生活を記録した『でもぼくらはみつめることができる』(1958)で全日本アマチュア小型映画コンクール最高賞受賞。以後はフリーでPR映画の撮影スタッフを務めながら亀井文夫監督に師事。東京教育大学附属盲学校の生徒と先生の12年間を記録した『若い心の詩』(1969)で文部省青少年映画賞受賞。ハマダプロダクションを立ち上げ企画から販売までをほとんど一人で行う。
主な作品:秋の歌(1956)砂利のふるさと、砂川は抵抗する、砂川1957(1957)でもぼくらはみつめることができる(1958)遠州の春(1962)日本海の歌(撮影/1964・山田典吾監督)夢のガラス建材、世界にのびる金鳥(撮影/1967・亀井文夫監督)若い心の詩(1969)ひとりひとりを生かす教育(1972)子どもと読書(1973)集団保育と幼児の発達(1975)手作り遊びと子どもの手(1977)小さな芽生えを求めて-重症心身障害者の意欲作りの試み-(1979)からだ作りと子どもの心(1980)16ミリフィルムと映写機、16ミリ映写機の操作(1981)草の根の人々-砂川闘争の記録-(1983)赤ちゃんの心を育てる(1984)映像作りのABC(1985)老後と福祉(1988)昔 堅谷戸があった(1999)稲城の20世紀-戦後見聞記-(2001)コンピュータの中みちゃった(2002)銀座のリンゴ(2004)罹災証明書、人間が歩み始める時(2005)
(参考文献:『浜田英夫さん逝く-その映像人生-』榊正昭氏・執筆/ユニ通信2006年10月19日号)


2007年春より稲城市浜田英夫の映画を見る会が発足。
2007年秋には東京・多摩地区にて特集上映会を開催予定。