129『中学時代―受験にゆらぐ心―』


1976年/30分/カラー 制作■東映教育映画部
企画■布村建 脚本・監督■内藤誠 撮影■北川英雄 照明■谷川庄三
録音■清島竹彦 編集■民野祐三 記録■槙坪夛鶴子 音楽■杉田一夫
効果■福島幸雄 助監督■内田和宏 進行主任■中代晴康
出演■加藤道夫(高田俊男)小松方正(父 竜彦)小山明子(母 良江)
   鈴木良江(白井雪子)坂本薫(石川賢治夏木章(父 孝之)
   石山律雄(藤沢先生)大和屋竺 山口智子
天体観測に夢をはせた一高校生の回想と追憶のドラマを通して、現在
の受験体制の中でも子供達の感受性や個性を暖かく見つめる姿勢を
失いたくないと訴える。

某月某日
ひる、東映教育映画の布村建氏から電話。内藤誠作品に端役で出演しませんかと云われる。ドラキュラという渾名の社会科教師の役。
某月某日
朝八時少し過ぎ、渋谷東映前。
東映教育映画部のマイクロバスが駐まっている。内藤誠、内山君など、待っている。世田谷弦巻中学校へ向かう。車中で内藤誠とテレビ映画の話。
弦巻中学校は天文部の部活動が盛んで、こんどの内藤誠作品、社会教育映画『中学時代』の趣意に賛同し、天文部の先生の一クラスが協力して全員登校してくれるそうだ。日曜日にもかかわらず。
星を観測する少年がついに受験勉強を受容するに至る、という内容は残酷な話である。少年の父と母には、天上と地上の間を揺れ動く少年の心が手にとるように分っている。教師もそうである。皆やさしい言葉を投げかけあい、傷つけまいとして懸命である。にもかかわらず、少年の心は何かに深くむしばまれ始めている。彼はじぶんから星の言葉をきかぬ少年になろうとしているのだ。内藤誠のこの脚本が好ましいと思った。
僕は社会科の教師の役で、授業中に居眠りするこの少年にいやみを云うのである。
「社会科は受験の科目じゃないから居眠りしたのか?」
「中学時代に理科や社会科の基礎をおろそかにしたむくいは、大学受験のとき必ずくるぞ」
と云って。
ピーカンでなく、薄陽がさしていて、教室の撮影には絶好の日和。
生徒たちが続々登校してきた。教壇に立つ僕には、彼らの物おじしない態度がおどろきだった。右往左往して器材を動かすスタッフたちを、異物としてみなすようなところがまるでない。彼らの同世代が、TVスタジオをじぶんたちの遊び場と心得ているように、彼らもまた、今日の撮影を存分に楽しもうというのだろうか。
撮影北川さん、演出内藤誠と慎重にポジションをきめ、一カットめ、教壇むけ。僕は大いにあがり、セリフをとちり、彼らはドッと湧いた。
プロデューサー布村建、近くの自宅からやってくる。
五カット撮り上がり、僕が解放されたころ、担任の天文先生が、三宅の徹夜観測から帰ってきた。生徒たちとのやりとりをきけば、まるで友達のような口ぶりである。
午後、布村建の家へ行き、ビールをご馳走になる。五時ごろ音楽の杉田一夫がやってきた。杉田・布村の名コンビは、教育映画界にこのところヒットをとばし続けている。
そろそろ今夜あたりから作曲にとりかかるそうだ。布村建の暁方の武勇伝をきく。酔っ払いが玄関の戸を壊してチン入してきたのを撃退したそうである。
七時、奥さんの作った甘酒をヤカンにさげて、夜間撮影の校舎屋上へ向かう。ドームが二つ。一つはプラネタリウムで、もう一つは天体観測用のもの。天文先生のご好意でプラネタリウムを見る。中学校の屋上で、思いがけなく得られた天体とのめくるめく一体感。(公評 1976年4月号)
大和屋竺「某日茫話 日記 1972〜1976」/『悪魔に委ねよ』ワイズ出版

悪魔に委ねよ―大和屋竺映画論集

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内藤誠【ないとう・まこと】
1936年名古屋市生まれ。1959年早稲田大学第一政経学部卒業。東映東京撮影所石井輝男監督『網走番外地』シリーズなどの助監督をつとめ、1969年『不良番長 送り狼』で監督デビュー。『番格ロック』(1973)『若い貴族たち 13階段のマキ』(1975)などの活劇映画、『夜明けの刑事』(1974)『Gメン'75』(1978)などのTV映画、『はだしのジョゼ』(1978)『生きものと教室の仲間たち』(1980)などの児童劇映画を手掛けた後、筒井康隆原作の『俗物図鑑』(1982)『スタア』(1986)を連作し注目を浴びる。1980年代以降は『幻魔大戦』(1983)『廃市』(1984)など多数の脚本も担当。著書に『昭和映画史ノート―娯楽映画と戦争の影 (平凡社新書)』(平凡社新書)ほか。

俗物図鑑 [VHS]

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