071『東京の下町』

1975年/24分/カラー/制作:日本記録映画作家協会・東京を記録する会/
企画:東京都教育庁文化課/プロデューサー:徳永瑞夫/
監督:木村荘十二/脚本・共同監督:浅野辰男(辰雄)/撮影:井上莞・文平基哲/
音楽:渡辺岳夫/解説:佐野浅夫
江戸時代、隅田川に沿った神田、日本橋、京橋、浅草あたりは町人の住む町
として誕生し、今もいろいろな形で江戸が生き続けている。江戸町人のエネ
ルギーが受け継がれた無形文化財、伝統技芸の数々を紹介する。

木村荘十二【きむら・そとじ】 1903〜1988
東京・三田生まれ。父は牛鍋店「いろは」を経営していた木村荘平で、兄の荘八は画家、荘十は作家となる。10代の頃に武者小路実篤らが作った共同体「新しき村」に参加し、文学や音楽に傾倒。1924年、大阪の東邦映画に美術字幕係として入社。1926年、阪妻・立花・ユニヴァーサル聯合映画で助監督となる。河合映画宣伝部を経て、帝国キネマで『何が彼女をさうさせたか』(1930 鈴木重吉) の助監督を務めた後、『百姓万歳』(1930) で監督となる。1933年に音画芸術研究所を設立し、東京・砧のPCL撮影所で『河向ふの青春』を製作。PCLが映画製作を始める際に監督として招かれ第1作『ほろよひ人生』を手掛ける。以後、PCL・東宝で映画を作り続け、『兄いもうと』『彦六大いに笑ふ』(1936) などが高く評価される。1941年に満州映画協会に招かれ、映画制作の指導にあたる。敗戦後も中国に留まり、人民解放軍の美術工作班で働く。1953年帰国。『森は生きている』(1956) 以降、主に児童劇映画を作り続けた。
[主な作品]
1925:普通選挙は国民の要求である 1930:百姓万歳 1931:都会病患者 1932:陽気な食客 1933:河向ふの青春、音楽喜劇 ほろよひ人生 1934:只野凡児人生勉強 1935:放浪記、都会の怪異七時〇三分 1936:兄いもうと、彦六大ひに笑ふ 1937:からゆきさん 1938:牧場物語 1939:揚子江艦隊 1940:海軍爆撃隊 1956:森は生きている 1957:長崎の子、うなぎとり 1958:海ッ子山ッ子 1959:海の恋人たち 1960:暴れん坊大将 1961:日本の童謡 1962:未来につながる子ら 1963:洪庵と1000人の若ものたち 1964:宇宙旅行 1968:未来をひらく大動脈 1971:おおあなむちの冒険 1975:東京の下町
木村荘十二 - Wikipedia

浅野辰雄 【あさの・たつお】 1916〜2006
栃木県宇都宮市生まれ。芸術映画社に入社し『農村に科学あり』(1939)を初監督。1942年満州映画協会啓民映画部に出向。戦後は民主化と自由を主題とする『君たちは喋ることが出来る』(1946)で注目される。以後はジョセフ・フォン・スタンバーグアナタハン』(1953)など劇映画のシナリオライター、また『麻薬街の殺人』(1957)などテレビ映画の監督も手掛けながら、多くのドキュメンタリーを製作。日本記録映画作家協会では長年委員長をつとめる。1970年代以降は世田谷区教育委員会の文化記録映画を連作した。
[主な作品]
1939:農村に科学あり 1940:知られざる人々 1942:今日の戦い 1943:煤坑の英雄 1946:君たちは喋ることが出来る 1947:解放朝鮮を行く 1949:号笛鳴りやまず 1954:恐怖のカービン銃 1957:日本刀物語、麻薬街の殺人 1960:大いなる歩み 1963:人間の復活 1964:北海に生きる 1965:18人の脱走娘 1968:日本の工作機械 1970:後継者 1972:山のこだま 1975:この美しい国土を 1976:東京の下町 1977:健康をつくる食事-4群点数法- 1978:古民家は語る 1979:今こそ自由を-金大中氏らを救おう- 1981:代官 1982:非行への入り口 1985:あやまちはくりかえしません-国家機密法は許さない- 1988:猿若町の歴史 1991:サケよ帰れ ふるさとへ 1992:歴史を未来へ-文化遺産の継承- 1995:甦った清瀬の古民家
浅野辰雄 - Wikipedia